行事・イベント 鹿の角きり

目次

2024年概要

日時 10月12日(土)・13日(日)・14日(月祝)※予定
11:45~15:00(開場11:15 最終入場14:30)
場所 春日大社境内 鹿苑角きり場(奈良公園内)
観覧料(当日券のみ) 大人(中学生以上):1,000円 
こども(小学生):500円
※ 愛護会会員・同伴者1名様まで無料
※ 障がい者手帳をお持ちの方・付添1名様まで半額
 ※このイベントの収益は「奈良のシカ」の保護活動に活用されます。
注意事項
  • 小雨決行・荒天中止
  • 完全入れ替え制です
  • 全て立見席です
  • 場内バリアフリーではありません
  • ペット同伴でのご入場はお断りしております
  • 三脚の使用は禁止しております
備考 駐車場はございません。(近隣に有料駐車場有り)
電車/JR・近鉄奈良駅からバス「春日大社表参道」下車、徒歩約7分

※日程等変更される場合がありますので、ご注意下さい。

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鹿の角きり行事とは

古都奈良の秋を彩る勇壮な古式「鹿の角きり」は、江戸時代から今日まで約350年にわたり、鹿と奈良の人々との共生の中で受け継がれている伝統行事です。

鹿の角きりの流れ

安全祈願

古式「鹿の角きり」は、安全祈願祭から始まり、春日大社の神職によって角きり場内を清め行事の安全を祈願します。

安全祈願

入場

勢子(※1)と呼ばれる人たちが赤旗(※2)を持ち、立派な角を持つ雄鹿を角きり場内に追い込みます。
雄鹿の群れが場内に入ると「太鼓」(※3)が鳴り響き行事を盛り上げます。

入場
※1「勢子(せこ)」
はちまきに法被を着て雄鹿を追い込んだり捕まえたりする人たち。勢子には役割分担されており、追い立て役、追い込み役、十字をかける役などがある。
勢子
※2「赤旗」
竹竿に赤い旗を付けた道具で、勢子が追い込みなどで使用するもの。
赤旗
※3「太鼓」
角きり場脇で雄鹿の動きや勢子の調子などとあわせ打ち鳴らす。
太鼓

追い込み

勢子たちは、一列に立ち並んで凄まじく走り寄る雄鹿にも恐れず堂々として隊形を保ちながら、雄鹿を追い込んでいきます。
隊形が途切れる場所には、捕獲具の「十字」(※4)を持った勢子が待ち構えます。勢子たちは、走り抜ける最終の雄鹿に対してタイミングを見計らいながら、十字を素早く投げ落とします。

追い込み
※4「十字(じゅうじ)」
割竹を十字に組み縄を掛けた捕獲具で、勢子のベテランのみが使用でき雄鹿の角に投げかける。
十字

取りおさえる

十字から外れた縄が鹿の角にかかると、勢子は決して縄を放さずに雄鹿と台付け(※5)まで走り寄り、雄鹿の体を傷つけないよう慎重に縄をたぐり寄せて捕まえます。
この時、角きり場中央辺りでは他の雄鹿と分けるために「紅白幕」(※6)を張り場内を仕切ります。

取りおさえる
※5「台付け」
角きり場内に立つ丸太でその回りには細い丸太を組み合わせ、根元に縄を巻いて鹿を引き寄せるために使う。
台付け
※6「紅白幕」
他の雄鹿への配慮として場内を仕切る幕のこと。
紅白幕

鹿の角を切る

捕まえられたオス鹿は、「ゴザ」(※7)の上に寝かされ、神官役は興奮した雄鹿の口に「水差し」(※8)の水を含ませて雄鹿の気を静めます。
その後、神官役が「ノコギリ」(※9)によって鹿角を切り落とされます。
鹿は神様のお使い「神鹿」とされてきたことから、切り落とされた角は神前に供えられます。

~オス鹿の角について~ この時期の鹿角には、血管や神経は通っていないので切られても出血や痛みはありません。人でいうツメなどを切るようなもので、翌年には新しい角が生えてきます。

関連リンク:オス鹿の暮らし > オス鹿だけが伸ばす角

取りおさえるオス鹿の角
※7「ゴザ」
捕まえた雄鹿の体を保護するために敷く道具。鹿用の枕もある。
ゴザ
※8「水差し」
神官役が持つ道具のひとつ。蓋の無い陶器製の容器。
水差し
※9「ノコギリ」
神官役が鹿の角を切る専用の道具。
ノコギリ

鹿の角きりの歴史

南都神鹿角伐之図(東栄堂蔵)
南都神鹿角伐之図(東栄堂蔵)

「鹿の角きり」は、1672(寛文12)年に鹿の角による事故を防止するため、奈良奉行の溝口信勝の命によって始められました。

角の生えたオスの鹿は、秋の発情期をむかえると気性が荒くなります。その影響で、当時の奈良町の人びとは、鹿の角に突かれることもありました。そこで奈良奉行の溝口信勝は、鹿の角による事故を防止するため、当時の鹿の管理者であった興福寺に鹿の角きりを要請しました。これがきっかけとなり、1672(寛文12)年から鹿の角きりは始められるようになりました。

当時の角きりは奈良の町々で行われていました。まず木戸と竹矢来(※10)で囲まれた町内に鹿を追い込みました。そして1頭ずつ傷つけないように鹿を捕まえたうえで、今と変わらないノコギリを用いて鹿の角をきっていました。町民たちは、この様子を店や町屋の格子(※11)ごしから、または屋根の上などから見学していたようです。

角きりは明治時代の初期には一時中断しますが、明治時代の中頃には春日大社の参道や境内地で再び行われるようになりました。そして1929(昭和4)年からは、現在の角きり場で開催されました。その後、昭和の戦時期における一時中断をはさみつつも、現在まで古都奈良を代表する年中行事として続けられています。

※10「竹矢来(たけやらい)」
竹をあらく交差させてつくった囲いのこと。
竹矢来
※11「格子」
町家の窓に木材を並べて打ちつけた格子で、「奈良格子」と呼ばれる。
町の所々で角きりが行われていたことから、鹿と家屋を守る役目を果たしていた。
別名「鹿格子」ともいう。
格子
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