保護の歴史
(奈良時代) 710年 | 奈良の平城京に都をうつす。 |
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768年 | 春日大社の社伝「古社記」によると、称徳天皇の頃に平城京鎮護のため、鹿島神宮(かしまじんぐう)より神様が白い鹿に乗って御蓋山(みかさやま)に来られたので、鹿が神の使いとして保護され大切にされるようになる。 |
(江戸時代) 1672年 | 奈良奉行、溝口信勝(みぞぐちのぶかつ)が鹿の角(つの)きりを始める。以後奈良奉行の監督下、毎年行われる。 |
(明治時代) 1871年 | 県令四条隆平、鹿を有害獣として銃による射殺を許可する。 |
1873年 | 鹿園(木柵)が建設され、700頭以上の鹿を収容する。11月、餌不足などで多くの鹿が死に38頭まで減少。のちに鹿を解放して、絶滅を免れる。 |
1878年 | 鹿を殺したりきずつけたりしてはいけない禁止区域が設定される。 |
1880年 | 奈良公園が開設される。 |
1891年 | 当会の前身、春日神鹿保護会が創設される。 |
1892年 | 新たに収容施設「鹿園(木柵)」が建設される。 |
1903年 | 現春日大社 萬葉植物園に、新しく石柵の収容施設が建設される。 |
1912年 | 運営基盤を強化するため、従来の春日神鹿保護会を組織変更(改組)。 |
(昭和時代) 1929年 | 現在の鹿苑(コンクリート柵)と角きり場が建設される。 |
1934年 | 財団法人 春日神社神鹿保護会が設立される。 |
1942年 | 鹿塚を建設。以降、毎年鹿まつり(慰霊祭)が行われる。 |
1946年 | 戦中・戦後の混乱によって、鹿の密猟がすすむ。約80頭まで減少。 |
1947年 | 名称「奈良の鹿」として、国の天然記念物に仮指定される。 財団法人 奈良の鹿愛護会として改正認可(改称)。 |
1957年 | 名称「奈良のシカ」として、国の天然記念物に指定される。 |
1973年 | 交通事故防止用「鹿の飛び出し注意」の道路標識を設置する。 |
1976年 | 財団法人 奈良の鹿愛護会事務所建物が建設される。 |
1980年 | 財団法人春日顕彰会が天然記念物「奈良のシカ」の調査結果をまとめる。 |
1985年 | 天然記念物「奈良のシカ」保護管理指導基準が制定される。 |
(平成時代) 1995年 | 荒池護岸補強工事のため、鹿塚を鹿苑に移設する。 |
2005年 | 交通事故防止用「鹿の飛び出し注意」の道路反射境を設置する。 |
2006年 | 天然記念物「奈良のシカ」総合調査委員会が総合調査をまとめる。 奈良のシカの愛護週間(5月)、愛護月間(11月)が創設される。 |
2009年 | 鹿サポーターズクラブが創設される。 |
2010年 | 4カ国語の看板(40基)を設置する。「奈良公園のシカ相談室」が創設される。 |
2012年 | 奈良のシカ保護管理計画検討委員会が設置される。 |
2013年 | 奈良の鹿愛護会、一般財団法人へ移行。一般財団法人設立登記。 |